スイス在住ママのお悩み解決パーソナリティー
杉野朋子です。
先日、娘が工作をしている時に
「夏休みの自由研究ってね、
研究系か観察系ばっかり校長先生に選ばれるんだよ
工作系は選ばれないんだよね!!
○○さんの『静電気装置』なんか凄くよかったのにさ」
と、突然言い出しました。
この話題を彼女が私にするのは2度目で、
日本に居たころとスイスで暮らしてからの、
私の返事が変わったことに気が付きました。
日本 「それであなたは自由研究は工作をするの?
いいんじゃない?自分のやりたいことをすればいいよ。
評価される為にするものではないしね」
スイス 「そっか、疑問に思うなら、校長先生に直接聞いて
みたら?」
(国連の前で『黄色いベスト』の集団が「人権」について訴えてたようです←私のフランス語解釈ですよ・・・・)
『自分のやりたいことを評価を気にせずにするといいよ』
夏休み前に、
この話題がでて私は娘にこう伝え、
「自分の挑戦したいことを貫けばいい」と
考えていました。
でも、これは少し論点がズレてるなぁと
先日わかりました。
相手のジャッジを気にしないから関係ないよ、
というのと
相手のジャッジ方法に疑問を持っている、
ここが違っていました。
そもそも校長先生に疑問をぶつけようという頭がなかったのかも
しれません。
でも、今、『「なぜ?」と思ったことは、簡単に納得はしない』
というスタンスを身に着けた私は、
おおいに校長室に入っていけばいいと考えています。
(横断幕を持って、国連正面で声をあげてました)
『主観ではなく、事実をもって疑問をぶつけて』
どんな風に疑問をぶつけるのか、話してみました。
娘 「絶対、工作が選ばれないのはどうしてですか?」
確かにそうなのですが、これでは相手がイラっとして終わる
だけですね。
事実を積み重ねて、相手に問うことが大切でしょう。
私 「学校全体で工作を作った人は〇〇人、
研究系・観察系は〇〇人です。
学年で一人、校長賞が選ばれてます。
去年は〇人が研究系・観察系でした。
その前の年も〇人が同じ系統のものでした。
工作系が選ばれる割合はどうして少ないのですか?
選ばれる基準はどうなっているのですか?」
娘は熱心に聞いていました。
「事実」は強いと色んな意味において感じています。
娘 「これだと、答えるね校長先生」
私 「どうしてそう思うの?」
娘 「自分が選んだものの数がよくわかるから、
それを私はおかしいと思っているから、聞きまくるね」
私 「この質問に、もし答えてくれなかったら、
あなたはどう考える(あくまで「もしも」)」
娘 「校長先生、おかしいと思うから、
自分のものが選ばれなくてもガッカリしないかな」
自分が何をもってそれを信用するのか、
何が「正しい」と考えるのか、
答えは自分の中にあって、
子どもはちゃんと判断できますね。
その材料を手に入れることを今まではしてなかっただけかな。
『マダムモコの
いつか使ってみたいフランス語講座~恋人への呼びかけ編~』
㉘ ma caille マカイーユ – ウズラ
「ウズラ」 女性への呼びかけ
ウズラ!!
なかなかな所をついてくるよねw
フランス人の感覚を掴めては、遠ざかる日々ね(笑)
それでは
Au revoir
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